当団体について。

指定難病の経験とその時の出会い

今回は、当団体設立や活動の経緯などについて、少しお話したいと思います。
私、代表の久保田はプロフィールにも記載しましたが、国の指定難病で入院、
通院を長くしている時期がありました。

確定診断、専門医の先生に出会えるまで7つの大学病院、総合病院へ通いました。
やっと病名がわかった日は落ち込むよりもホッとした気持ち、
安堵したことを、今でも鮮明に覚えています。

その主治医の先生は、初診で今すぐドクターしか出来ない検査をしたいからと、
ご自身は外来の日だったので他の先生を呼んでくださり、
検査の部屋へ行き、確定診断がおりました。

そして、すぐに入院して治療をしようと言ってくださり、
誰もが知っている大学病院へ2日後に入院しました。
そんな中、同じ部屋に同世代の女性がいました。

彼女とは今もよく連絡をとり、もう10年以上仲良くしてもらっています。
それが、当団体事務担当の杉森です。

彼女との出会いが結んだご縁

彼女は当時30代で、悪性脳腫瘍でした。
他の大学病院では、癌を摘出しても目が見えなくなるなど、
後遺症が残る可能性がかなり高いと言われ、オペを断られていました。

ただ幸いなことに、私と同じ病院に名医がオペを引き受けてくださり、
「後遺症は残らないと思うよ」と強いお言葉をいただき、
オペ後も何の後遺症も残らず元気に今も過ごしています。

杉森がある時、『病気なんて、ドラえもんがいてくれたら何かの機械にでも
入れて出てきたら治ってたらいいのにね』と言っていたのも鮮明に覚えています。

杉森自身、シングルマザーで当時保育園児の小さいこどもを抱えていました。
『悪性脳腫瘍=予後の悪い病気』というイメージを抱いてる方は多いと思います。
当時の私もそうでした。

手術日になると、明るく行ってくるね!と言ってから会えなくなった方もいました。

様々な出会いやご協力のおかげです

養護学校の音楽の先生をし続けながら、福祉の大学にも通い直していた際、
その大学の先生でいらっしゃったご夫婦が、最初にこの活動をしたいと杉森に相談しました。

その方々が息子さんにコンタクトを取ってくださり、それが顧問のしもだ玲練馬区議会です。

お父様は他界されてしまいましたが、何においても『人との繋がりを大切に』という方でした。
杉森と食事に行く際も「お友達も誘っておいでー!」と言ってくださり、
私もご馳走になったことがあります。とても楽しい方で明るい素敵な方でした。

そして、福祉の大学のお母様としもだ玲議員とお会いさせてもらい、
しもだ玲議員が顧問になってくださいました。

最近、ありがたいことに団体の固定電話に何人かの方からご相談をいただきます。
これから、NPOなどを立ち上げるためのご相談などもいただいております。

このようなご相談でも、当団体でわかる範囲でお答えいたします。
様々な方のご協力のもとで立ち上げ、活動ができております。

さいごに

どんな些細な事でも構いません。いつでもメールをいただければと思います。
電話やメールでも対応可能です。何でもいいのでご連絡してくださいね。
下記ボタンを押してお問い合わせフォームからもご連絡できます。